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能登仁行和紙が紡ぐ、自然の循環
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能登半島の山奥に、
三代にわたって和紙を漉き続ける工房があります。
杉の皮、野の草花、土。
身の回りにあるものを紙に漉く。
整えるのではなく、引き出す。
意図するのではなく、自然とそうなっていく。
「種→葉→花→枯」。
うつくしさの循環を空間に宿す環然美が、
その思想を託す和紙を探し求めたとき、
たどり着いたのがこの工房でした。

Kazuyuki Tomi

能登仁行和紙 三代目。1985年生まれ。石川県輪島市三井町仁行の工房にて、祖父・遠見周作が始めた手漉き和紙を受け継ぐ。能登半島で唯一の手漉き和紙工房として、杉皮紙、野集紙、土入り紙など独自の和紙を制作。2024年の能登半島地震と奥能登豪雨による被災を経て、現在も制作を続けている。

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01紙の中で、生きている

環然美のビジュアルには、「種→葉→花→枯」の循環を表す四種の和紙が使われています。種、葉、花に対応する紙は既存のものから選ぶことができました。しかし、「枯」に該当する和紙だけは、これまでに作られたことがありませんでした。


「枯れて土に還っていくような紙が欲しい」。そう相談を持ちかけたのは、ちょうど冬の時期でした。遠見さんは、それなら枯れ葉を集めてきて漉けばできると答えたといいます。秋から冬にかけて落ちた枯れ葉を漉き込むことは、以前から自然に行っていたことでした。盛りの季節が過ぎ、漉き込む草花がなくなると、足元に落ちているものに手を伸ばす。特別な技術や新たな挑戦が必要だったわけではなく、その季節にあるものを使うという、この工房の日常の延長線上に「枯」の和紙は生まれたのです。 。

こうして生まれた「枯」の和紙ですが、実は仁行和紙では、和紙そのものが時間をかけて「枯」に向かっていく性質を持っています。花を盛りの状態で漉き込んでも、年月とともに紙の中で花は変化していきます。紙を重ねて光や空気を遮れば色は長く保たれますが、陽のあたる場所に置けば、やがて色は褪せ、枯れていく。

「作るときはそのままの色が出るように作っていますけど、その色が落ちたあとの枯れた風合いのほうが好きだという方もたまにおられる。だから、年数で楽しんでいってもらえればいいかなと」

和紙は完成した瞬間がゴールではなく、時間とともに表情を変え続けるものです。花はやがて枯れ、色は褪せ、紙そのものも風合いを変えていく。けれど、その「枯」の先に、もうひとつの話があります。

和之さんは過去に依頼を受けて、種を紙に漉き込んだことがあるといいます。

「種を漉き込んだ紙を土に埋ければ、芽が出てくると思います。水に浸しておくと、紙が土の代わりになって出てくるかもしれない。決して紙自体が死んでいるわけではなく、生きたまま閉じ込められている状態ですね」

強い種なら、紙の中でもそのまま生き延びるだろうと、遠見さんは言います。「種→葉→花→枯」の四つの和紙は、環然美のためにあつらえたコンセプトではありませんでした。この工房では、その循環がはじめからそこにあったのです。

02僕が思いつくことは、もう既に先代がやっている

能登仁行和紙の始まりは、初代・遠見周作が中国で紙漉きの現場を見たことでした。
周作は日中戦争のさなか、医療班として中国に渡っています。軍務ではなく医療だったぶん、現地を見て回る時間があったようです。そこで手漉きの紙を作る光景に出会い、帰国したらこの仕事を始めようと心に決めました。

「この辺りには和紙の原料となる楮(コウゾ)が自生していたので、すぐにできるだろうと。それで始めたんです」

和之さんは祖父の出発をそう振り返ります。どこかに弟子入りしたわけではなく、完全な独学。わからないことがあれば和紙の一大産地でもある隣の福井県の職人に相談しながら、手探りで続けていきました。

当初は地元・輪島塗を包むための白い袋紙を漉いていましたが、ちょうどその頃、紙の袋から布の袋へと移り変わる時代を迎えます。全国的にも和紙の需要が落ち込んでいく。決して恵まれたタイミングではありませんでした。

白い楮の紙だけでは生計が立たない。そんな模索のなかで周作が目をつけたのが、製材所に大量に出ていた杉皮です。同じ植物の繊維なのだから、紙にできるのではないか。試行錯誤の末に生まれたのが、今も工房の代表作である杉皮紙でした。

ただし、杉皮紙もすぐには受け入れられません。当時の常識では、和紙とは白いもの。見慣れない素材を使った紙は「何に使っていいのかわからない」と敬遠されました。それでも周作は、杉皮だけでなく、ありとあらゆる素材で紙を漉き続けます。

「いろんな素材でどんどん紙を作っていた。作る楽しみがあった。それが続ける理由だったんかなと」

二代目・京美は、周作が亡くなった後もこの仕事を絶やすまいと決意します。苦労を間近で見てきたこと、そして全国に多くのファンがいたこと。「そのまま終わらせるのはあまりにもったいない」という思いが、彼女を支えました。京美は先代の手法をさらに発展させ、草花を鮮やかに漉き込む野集紙を主な仕事にしていきます。

三代目の和之さんがこの道に入ったのは、高校を卒業した頃のこと。祖父の知人に「進学なんかせんと、紙の仕事を覚えろ」と声をかけられたのがきっかけでした。

「迷いはなかったです。何も迷うことなく、この道に入りました」

お金を稼げる仕事ではないと分かっていても、もの作りの作業自体が好きだった。子供の頃からずっと紙漉きを見て育ち、手伝いこそしたことはなかったものの、工程も方法も身体に染みついていました。「特に人に教わるでもなく、すんなり始められた」と言います。

和之さんには、幼い頃の記憶があります。 祖父がよく「今日はこんなの作ってみたぞ」と、新しい紙をわざわざ持ってきて見せてくれたこと。

「感想を聞きたかったんだと思います。当時はあまり知識もなかったので、ただ見るだけでしたけど。でも、それが日常でしたね」

紙作りの話が暮らしの中に溶け込んでいた。技術を体系的に教わったわけでもなく、マニュアルが残っているわけでもありません。けれど、自分が何か新しいものを思いついたとき、「そういえば昔こんなのも先代が作ってたな」と、やりながら思い出していく。三代の継承は、記録ではなく記憶として、手を動かすなかで浮かび上がってくるもののようです。

「なんせ先代は本当にいろんなことに挑戦した人ですから。僕なんかが思いつくことは、もう既に先代がやっていたりする」

和之さんが新たに手がけた土入り紙も、ゼロからの発明ではありませんでした。祖父の時代から田んぼの土と稲の切り株を混ぜて漉くということはやっていて、それを発展させた形です。能登に豊富にある珪藻土をはじめ、さまざまな土を原料に混ぜ込み、建築の壁紙として使えるように仕上げた。先代が一度チャレンジしていたものを「もっと扱いやすく」したもの。独学で始めた祖父の杉皮紙、それを草花に広げた母の野集紙、そして土壁の質感を紙に移す土入り紙。三代の仕事は、それぞれが前の世代の試みの延長線上にあります。

03水の動きだけで、草花の配置が決まる

仁行和紙のものづくりは、一般的な和紙の品質追求とは異なる方向を向いています。 「白い綺麗な紙のほうが余計に難しい。品質の向上を求めれば際限がない。うちはそことは全然違うフィールドにあります」

均一で美しい白い紙を漉くには、原料の精製から漉き方、乾燥まで、すべての工程で精度が求められます。ほんの少しのムラも許されない。しかし仁行和紙が目指しているのは、その逆ともいえる世界です。思いつきでもまず作ってみる。作りながら「こうすれば良くなる」と柔軟に考える。

「大胆に、雑な作業も通用するような、そういう種類の紙」 和之さんのその言葉は、粗雑さの肯定ではなく、素材のありのままを受け入れるという姿勢の表明です。

草花を漉き込む際には、漉き舟に花を浮かべ、水の動きだけで配置を決めていきます。動かし方である程度の調整はできるものの、仕上がりが予想通りとは限りません。それでも、「自然の流れなのでこれでいいかな」と受け入れる。

「かえってそのほうが、作為をあんまり出さない感じになる。割と偶然、良くなったりしますんで」

人の手を加えすぎると、見た目は綺麗になっても不自然さが出ます。一輪一輪を理想の位置に置いていけば、確かに美しい絵は作れるかもしれません。けれどそれは、もはや自然ではない。水が運んだ場所に花が落ち着く。その偶然をそのまま受け取ることが、この工房の漉き方です。先代も、先々代もそうしてきました。

水もまた、このものづくりの根幹を支えています。工房のすぐ近くの源流から引いた沢水を大量に使います。水の質や温度は季節によって変わり、それが紙の仕上がりにも影響を与えます。コントロールしきれない要素のなかで漉くからこそ、一枚として同じ紙は生まれません。

04あるもので、次のものを見つけて

杉皮、檜皮、桜の皮。仁行和紙に個性を与える素材は、すべて地元で採取されたものです。楮は量が足りないため業者から仕入れていますが、この工房の「顔」となる素材は、いつも手の届く範囲にありました。

「こだわっているつもりはないんですけど、作業していく中で自然とそうなっていく。身の回りにありますので、わざわざよそから取り寄せるほどのものではない」

結果として、能登に自生する自然がそのまま紙になっている。それは意図された地域性というよりも、手の届くところにあるものを使い続けてきた、ごく自然な帰結です。

2024年1月の能登半島地震では、原料の炊き釜や乾燥機といった大型設備が損壊しました。自力で修理し、なんとか作業を再開。しかしその九ヶ月後、奥能登を記録的な豪雨が襲います。工房の中まで泥水が流れ込み、材料も資材も、育てていた草花もすべて流されました。さらに、杉皮を長年提供してくれていた製材所が廃業。紙づくりの前提が、いくつも同時に失われました。

それでも和之さんの言葉に悲壮さはありません。 「被害に遭ってもまた、ここは田舎ですから。新しいものを探すなり、使えるものを使っていくなり、自分で工夫していく。それでいいかなと」

あるもので、次のものを見つけて、活用していく。元来、身の回りにあるものを紙にしてきた人の言葉だからこそ、それは強がりではなく、ずっとそうしてきた人の自然な態度として響きます。災害で何かが失われても、この土地にはまた別の何かがある。その「何か」を見つけて紙にする。それは三代にわたって繰り返されてきた営みそのものです。

「この辺はありふれたものしかないような感じなんですけど、何もない草とかでも漉き込んでも、それなりに美しい。雑草なんかは、かえって何もない草のほうが余計綺麗に仕上がったりしますんで」

後継者は今のところいません。「この仕事でお金を稼ぐのもなかなか難しい。ぜひどうぞとは言えない」。正直な言葉です。それでも、いろんな紙を作ること自体を楽しんでいると、和之さんは話します。

「やっぱ楽しくないと、続けられないですからね」

ここ数年は立て続けの災害で、新しい挑戦にまで手が回っていないといいます。でも、落ち着いたらまた考えたい、と。その「また」がいつになるかはわからなくても、この工房が止まることはなさそうです。身の回りにあるものがある限り、紙は漉ける。三代にわたって続いてきたのは、そういうことなのだと思います。

05エピローグ

能登仁行和紙のものづくりは、素材や環境、時間に向き合いながら、その状態を引き出していく行為です。整えるのではなく、もともとあるものがそのまま現れるように関わること。三代にわたって受け継がれてきたのは、技術の伝承というよりも、身の回りにあるものに手を伸ばし、紙にしてみるという、ごく自然な営みの連なりなのかもしれません。

環然美の空間に息づく和紙は、能登の水と土と草花が、そのまま紙になったものです。種→葉→花→枯。その循環は、この工房ではつくられたものではなく、はじめからそこにあったものでした。

Interview: 能登仁行和紙 / instagram homepage

Photography: Makoto Koike(LitoRe) / Text: Keiichi Murayama

   

   

   

   

   

   

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